世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

何度目かの無題

生活に思考の余白が生じる隙が減って

いつのまにか書かなくなっていた雑記を

何度かの三日坊主の果てに

続けていこうと思います

 

節目となる年齢に近づき

焦り、衒い、諦観に至れないことなどの雑念が

重くのしかかるような気がしていて

目を閉じていても

隣の芝生が勝手に足裏にまとわりつくような感覚と

自分の無価値性

忘れること、忘れられることの恐れとが

肉体と思想と感覚器との連動を損ねているのと

 

歳を重ねて

思考のスピードと持続性が落ちているのと

五感が鈍麻していること

快不快に対して

ありきたりな表現しかできなくなっているのを痛感して

 

せめて自分の内心と感覚だけでも

自分のものにして肯定するために

たまには文字にして残そうと思いました

 

感じたことを表すのに

私に1番適しているのは

なんだかんだで

必要なことを濃淡をつけて

必要以上に足し引きせずに表現できるのは

誰に向けるでもない日本語の言葉、のはずですが

何かを表現しようと無理に思わずになにかしら書くのが

続けるコツなのかもしれない

 

枯れ木も山の賑わい

なにもなくてもなにかしら書こう