世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

神の名

おそ松さん24話は見ましたか?

意外にもあっさりした内容で

だからこそ最終回への期待と不安が高まる話でしたね

 

人間讃歌としての

おそ松さんという作品を感じました

考えがまとまらないので

感想をつらつらと書いていきます

 

まずは前半

3期1話で登場した新六つ子が

逆襲と言わんばかりに松野おそ松くん

そして六つ子に襲いかかり

 

平成に取り残されたままの如く

歳を重ねる六つ子は

令和に生まれた「未来の自分」と

文字通り死闘を繰り広げていました

 

1対1のタイマンから始まり

弟の奮闘や

周囲のキャラクターの助太刀こそ受けても

 

弱井トト子は無力にも届かぬ声を叫ぶだけ

イヤミやチビ太、デカパンやダヨーンの姿はそこになく

神の名、赤塚先生は呼ばれない

 

最終的な勝負の行方は

性別のない「完璧な人間」を模した

究極の「おそ松」と

歴戦を経て、ズタボロになりながらも

自分の足で立つ

完璧からは程遠いプロポーション

男の証まで顕となった「人間」としての

今を生きる

松野おそ松

 

一期からスタンスが変わることなく

「ダメ人間」を演じ続けてきた男

松野おそ松が

理想と手を取り進んでいくことが

許された世界

*******

一方で、後半のA-1グランプリでは

オムスビ2体の栄枯盛衰が描かれていましたが

「笑い」を求めるあまり

怪電波を世界に向けて発信する姿は

 

少し前の放送で

「人類総イヤミ化」という私利私欲のために

怪電波を街中に流した

イヤミの姿と重なりますね

キャプションでオムスビの「師匠」とまで言われていただけあり

こと「笑い」においては

作中存命の人物においてはまさにパイオニアの人間

 

イヤミの所業は制御不能のまま

人類社会を飲み込んだ中

師匠の後を追ったオムスビたちの言動は

人間の手によって「悪事」として制裁を受けていました

 

同じ主題が繰り返されているように見えたような気がしましたが

この話は果たして人間への賛歌か

はたまた

笑いへの賛歌か

 

そしてこの話から繋がる(かもしれない)

最終回は果たして

笑いか涙か

どちらに向かうのでしょう