世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

ひときれ

今週のおそ松さんは見ましたか?

松野チョロ松のストーリーテラーぶりが光る回でしたね

 

えいがのおそ松さんが「スピンオフ」ではなく

ひとつなぎの物語となっていることもわかり

大変興味深く思いました

 

六つ子の目で見られた世界の異常性が

(視聴者を含む)一般人の目を通じて

炙り出されていく「買い出し」は

「やはり六つ子ちゃんは第三者なんかには理解され得ない」

ということを印象付けられました

 

コンビニのイートインで繰り広げられてきた

六つ子の会話に代表される

彼らの日常描写の中には

「社会との繋がりを意識する」

我々と地続きの感覚を持つ

人間としての六つ子ちゃんが描かれていた

 

三者の目から見ると

「まるで同じ」にしか見えない服を

皆で吟味して選んでいく

 

六つ子には「六つ子だけが共有する」

一つの世界があることを

所詮は自分たちに興味を向けるだけの赤の他人としての

私たち視聴者に見せつけるかのように

 

一方で、松野チョロ松くんが

イマジナリーフレンドの目を通して

見ていた高校時代の回想では

「えいがのおそ松さん」で描かれていた

誰かの目で見た、

あるいは六つ子の総意としての

「あの頃の俺たち/僕たち」の見え方とは

似ているようで

少しニュアンスの違う日々が描かれていました

 

少しズレた空回りヤンキー十四松と

精神年齢が一回り以上幼いトド松の見え方には

「えいが」での視点とチョロ松の視点とで

そこまでの違いはないものの

 

えいがでは、

「心からは周囲と馴染めないものの

根暗な性分を感じさせない振る舞いで

スクールカースト上位の生徒とも

それなりにコミュニケーションを取る」

ように見えていた松野一松は

チョロ松の目を通すと

「根暗な性分を隠しきれずに不自然な振る舞いを繰り返すが

対人能力に長けたスクールカースト上位の人間には

ギリギリのところで相手をしてもらっていて

本人も自分の態度が痛々しい事など

痛いほどわかっている故つらい」

といった姿が炙り出され

 

一方で

えいがでは、その引っ込み思案な性格故に

本当に静寂と孤独に包まれた日々を

過ごしていたように見えた松野カラ松は

チョロ松の目を通して見ると

「不意に話しかけられるだけで

涙目になるほど臆病だが

その姿の可愛げからか

(友人がいなかったチョロ松と比較して)

それなりに級友に愛される」

という姿が

半ば羨望の目で映し出され

 

そして、えいがでは

「現在とほぼ変わらないメンタリティで生きている奴」として

あまり過去が描かれなかった松野おそ松は

チョロ松の目を通しても

「本当にバカ」という評価は変わらないものの

よく見ると「馬鹿やってる」その姿の周りに

集まる級友の数は少ない

 

箸が転がっても面白いような年頃で

20代と比べても「馬鹿やってる」ことが

社会的に許容され、同調されるような年代にもかかわらず

麻雀ですら人数が揃わず

スルメを炙ったり、雪だるまを作ったりする

「楽しそうなこと」の最中でも

その背中は孤独で

 

そんな些細な描写からも

赤塚高校という「社会」の閉塞感と

そこに組み込まれた六つ子のフラストレーションが

今更ながら感じられました

 

私たちが見ていた六つ子ちゃんというのは

70話以上のslices of lifeが

これまで眼前に提供されていたとしても

1枚の画面と「誰か」の目を通して見た

「彼ら」のほんの一点

 

そりゃ「契約更改」で一方的な見られ方なんかで

勝手に値踏みされてたまるかっていうのも当たり前よ

 

最終回を目前にした今

この先目の前に映る世界で

どれだけ騙してくれるのか

今から既に楽しみです