世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

アイデンティティ

7/8(金)公開の映画について

あとはえいがのおそ松さんについて

ネタバレが含まれます

 

松3期が終わりほぼ1年

公開と聞いて、いてもたってもいられず

レイトショーで見に行きました

感想を書き殴ります

 

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映画を観た人全員が思ったかもしれませんが

彼らが本腰入れて農作業を始めるまでは
長男が「みんなのリーダー」然とふるまってたり
末弟が必要以上にあざとく振る舞ったりと
不自然なくらい「あらかじめ与えられた役を演じている」ように見えました

 

一方で、近代文明から隔絶された島に漂着し

「働かざる者食うべからず」という掟の下

慣れない農作業に向き合い畑を耕すことで

徐々に、そして確実に
六つ子の言動が、各々の個性を保ちつつも
自然な人間のものへと変わっていく感があったのが印象的でした

 

個人の感想なんですが、これってヒピポ族の連中が
「六つ子を六つ子として意識しない」ことで初めて成り立ったんじゃないかと思います

 

ヒピポ族は(各々それなりに識別可能とはいえ)
「外の人間」から見るとかなり似通った容姿をしていてもとよりあまり区別がつかない
同時にヒピポ族から見た六つ子も「なんかこいつら顔似てるな」という程度の存在であえて意識することもない程度なのでしょう

最初の股間の件のようにヒピポ族に「同質性」を重んじる文化があったことも功を奏していたと思います

 

六つ子が「六つ子」としてあえて意識されず
6人組の移住者として扱われることで
自然体の、自立した人間である
松野おそ松
松野カラ松
松野チョロ松
松野一松
松野十四松
松野トド松をそれぞれ引き出していたんだなあと感じました

 

そして「6人の人間」で構成された六つ子は
作物を作り
家を作り
料理をし
洗濯をし
そしてそれぞれの得意分野で地域社会に溶け込んで
(色々難はあれど)同年代の人間と遜色ない生活力を有しているのがとても印象的でした

 

それは
「六つ子の一部ではなく、個性を持った人間だ」という自意識が芽生えたことから
アイデンティティの確立に奔走した結果
余計に「キャラクター性」が際立つようになってしまった
えいがの世界の六つ子と比較しても
対照的な人物像のように思えます

 

感動映画風なラストに決着したえいがと
ハチャメチャやり放題した挙句
唐突に寓話のようなオチがつくヒピポ族
終わり方からしても対を成していたように思えた作品でしたね

 

短い作品ながら映画化するに遜色ない

解像度の高い日常描写と

たたみかけるように荒唐無稽さを増す後半にかけての躍動感ある動き

おそ松さんの映画」としてとてもよかったです

 

誰か一緒に観に行きませんか?