世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

悪道

2011年3月11日

私は被災しませんでした

たしかに地面は揺れましたが

起きたことはそれだけで

被災と呼ぶにはおこがましく

申し訳ないのです

 

いじめられたり等の辛いことは特にないのに

どこにいても苦痛が伴う

地獄と呼ぶには到底おこがましいけれど

人の世と思うには苦しすぎるような

夢も希望も特にない、明日がただ来るだけの

生ぬるい生活を送る中

 

遅れてきた中二病からか

自分にも

周りほぼ全ての他人にも

殺意に近い感情だけを抱いていました

 

地面が揺れたとき

ただの目眩か

あるいはこのまま消えられるかなと

目を閉じてボーっとしていたら

ただ1人の友人に手を引かれて

気づいたら避難していました

 

結局のところ教室に泊まり込まざるを得ず

映されたテレビの映像を見ながら

「なんで私じゃなかったんだろう」と

またボーっとしていたら

 

どこからともなく

誰かがチョコレートを元手に闇市を始めていて

コンセントから1番近くに座る生徒が

「充電器レンタル500円」

だなんて商売を始めていました

 

日頃すみっこで小さくなっている

とりわけ教室で弱い立場にいた男子生徒が

隠し持っていた何かで荒稼ぎしているのを見て

「ゲーム代が稼げるぞ」と

私も手持ちの飴玉と菓子とを売り捌きました

 

そこには経済がありました

戦後の闇市への解像度が少し上がりました

 

被災したでもなく

翌日には元通りになるような場所だったのに

混乱にあてられてか

金か飯がある人が力を持つような

経済に皆飲み込まれていました

 

散々馬鹿にしてきた数多の生徒が

腹を減らして

「飴玉を一粒ください」

「クッキーを1枚ください、お願いします」

と100円玉片手に敬語なんて使っていて

 

立場の強弱も

人の世での善悪の価値も

たったひとつの出来事で

一瞬にして入れ替わるんだなと

痛感しました

 

何事もなく朝が来た翌日の帰り道

本当に被災し

辛いなんて言葉では到底足りない程の

3月11日を経た人々への

罪悪感と偽善から

手持ちのお金の半分を義捐金へと寄付しました

 

次に登校した時には

周りの序列も、環境もすべて元通りで

やっぱり息苦しい日が戻ってきたけれど

周囲に対して抱く醜く燻った感情が

少しだけ和らぎました

 

その後も

お遊び程度に瓦礫を拾ったり

端金を送ったり

何をしても偽善にしかなりませんが

それでも今日も生きています

 

このことで裁かれるのであれば

致し方ないのかもしれません