世界は今日も美しい

政治と野球のことは書きません。

祝言

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

それはそうとして

今日はまた世界に祝日(祝うべき日)が増えました

 

そうです

堂本剛くん(旧事務所の慣習に則った敬称)が

この度、結婚という形で

幸せに向かい歩みを進めることが

ご本人により発表されました

 

他人の目から見える範囲でも

並の人なら身に余る程の

激流のような前半生を送り

想像もつかない程の逆境に立ち向かい

あらゆることに目を配り、考えを深め、心を痛めてきた

音楽、世界、ひとへの愛にあふれたお方が

 

少しでも心休まり、幸せと感じられる拠り所が

この度のご結婚によりまた一つ生まれたことが

なによりもめでたく、なによりもうれしいです

剛くんの伴侶ともなる女性なら

ひとりの人間としても素敵なお方でしょう

何も疑う余地がありません

 

そして剛くんのことだから

さまざまな愛のかたちがある中で

生涯の7割以上を共に過ごした相方への

愛と信頼、絆はもちろんのこと

共に音楽をつくる方々、彼を取り巻く森羅万象

そして彼を崇める多数の人間に注がれる愛は

きっと変わらず存在し続けることだと

一介のファンとしても

確証を以て信じ続けられます

 

剛くんが歩みを進め

歌い、踊り、祈りを捧げる世界は

きっとさらに美しいものとなり

光を増すことでしょう

 

この先おふたりと

おふたりの周りの方々の辿る旅路が

末永く幸せに満ちたものでありますように

 

届かないことを承知の上で

それでも心から祝福させていただきます

 

本当におめでとうございます。

 

一ファンより

入村

今更ながら

今話題のゲゲゲの謎を見てきました

ネタバレをかまします

 

熱狂的なファンというほどではないけど

ゲゲゲ忌での発表をリアルタイムで聞いて以来

楽しみにしていたのを

ようやく見られました

明転の瞬間まで丁寧、丁寧に作られていました

 

やっぱりいてもたってもいられなくて

レイトショーを観たというのに

すぐさま踵を返してミッドナイト上映まで

見てしまいました

 

生ける者の弱さ、愚かさ、恐ろしさ

そして美しさを存分に描いた

大人に向けた「ゲゲゲの鬼太郎」の映画として

最高だったと思います

 

鬼太郎の父さんは

時間軸や設定上は1番最近の鬼太郎の父親にして

 

笑い方や話し方は60〜70年代の鬼太郎を思わせ

勇ましく戦う姿はとりわけ80年代の鬼太郎を彷彿とさせ

線の細さや霊毛のはね方、表情などの特徴は90年代の鬼太郎によく似ていて

女の趣味は間違いなく00年代の鬼太郎

すべての「ゲゲゲの鬼太郎」の父であるような気がして

長い長い時間の中で

紡がれた作品のDNAを感じました

 

あとは「一瞬の幸せ」の描かれ方が良かったですね

70年経っても子供のままでいるような長い寿命の中で
長くてもたかだか数十年、否十数年程度の

蜜月を大切に、大切にして

 

そして変わり果てた姿で

もう永くないとなった後も

短い最期の瞬間を共に過ごし

無念の中にも一粒種を残せた

妖怪の夫婦のささやかな幸せ

希望の光の具合がちょうど良かったです

 

鬼太郎くんの横顔を見ると

愛らしく丸みを帯びた顎のかたちや

白眼がちの大きな丸い瞳はお父さん譲り

亜麻色のふわふわとした髪や丸くて可愛らしい鼻筋はお母さん譲り

ちゅんとした口元と流れるような眉毛の形はどっちに似たのかな

でもどちらかといえばお母さん似な気がする

2人が遺した

かわいいかわいい子供でした

 

うーん、良い

他にも思うところはいっぱいあるけど

また見に行きたいなあ

いつからだって

人が何かにハマっていくのを見て

「今更?」と言ってくる人間

まとめて尻の方に

蹴りを入れさせていただきたいです

尻じゃなくてもいいです

 

ハマるモノ

ハマりそうな兆しを見せているモノ

軒並み老舗のモノなので

私自身よく言われるんですよねコレ

本当にいいことないですよ

 

ハマった時点で当事者からすれば

旬も旬、これからが食べ頃

今が1番おいしいし、これからもっとおいしくなる

 

昔からあるモノであればあるほど

これから知ることになるものが盛りだくさんだし

いつだってこれからの流れにノッていける

もう更新が見込めないような作品や人でも

これまでの積み上がったモノだけで

お腹いっぱいになればいい

 

まあ何が言いたいかというと

KinKi Kids、今から知ったっていいんですよ

 

一番星

生きてる意味が見出せず

人間未満の自分という存在が

のうのうと存在していることが許せず

心の平穏が保てない今日この頃

 

ジャーナリングなるものが

心の健康にいいって定説を見かけたので

ブログを始めてみたけど

余計に深みにハマってるじゃないですか

なんということでしょう

 

自分の息の根を止める方法に思い馳せる中でも

自分を正気側に引き留めているのは

やはりずっとずっと心の道標だった2人で

 

1月までは元気に生きて

夜空に輝く一番星のような

2人を拝むんだ

それからどうするかを考える

食べ時

機会があったのでお菓子を買い込んでみた

エンゼルパイと小枝とその他少々

でも食べ時がわからない

どんな時にお菓子って食べたらいいんだったっけ

 

買う時が1番ワクワクしていて

ひとつ口に含むとこんなもんかと言う感覚と

何もしてないのに甘いものを消費した罪悪感で

そして残りを持て余す

 

自分の機嫌を取るのに

お菓子はあまり役に立たないみたいだから

みかんとかなら役に立つのかなと思いつつ

 

何もする資格も能力もない

人間未満のただのデクの棒だというのに

ご褒美よろしく甘いものを口にしようなんて

過ぎたことだったのかもしれない

 

お菓子くらい気分を落とさずに食べられるようになりたいものだ

回避不能

アドベントカレンダーって言ってるのに

1日しれっと飛ばしてしまいましたね

何をやってもそう

あのさあ

 

週末は大阪の方に遠征していました

「新しいことを始めよう」という試みの一環で

応募した第九に参加する

(ことを口実に友達と会ったり、聖地巡礼したりをする)

ことに勤しんでいました

 

たくさん動いた反動か

ものすごく気分の浮き沈みがつらいことになっています

 

「推しの供給」や「旧友との再会」とかの良いものは

なんだかこれが最後で

この先二度とこんな良いことは起きない

といった気分になってしまうし

「労働にまつわる虚無」「金銭面の不安」「孤独死」だとかの良くないものは

全部回避できない

 

年始まではなにかと

生きる気力の尻叩きをしてくれる

コンテンツが多いので

存分に頼っていこうと思います

 

はあ

蜘蛛の糸

これは何年か、いや何年も前のこと

初日の出でも見ようかと

海に向かう始発の電車を待ちながら

真っ暗な駅のベンチに座ってた冬

 

少し浮き足立ちながらも手持ち無沙汰

ツイッターを開いて

呟きもまばらなタイムラインを覗き見して

 

兎にも角にも手持ち無沙汰だったので

何の気なしにタイムラインの海を泳ぐ

「寝れない」「気づけばこの時間」「おはよう」「ねむい」

などの言葉の中から

ふとした瞬間で

「たすけて」といったつぶやきを見つけました

 

飲んだことも話したこともあるけど

日頃から頻繁にやりとりをするほどではない

程度の仲の人でした

でも暇だったのと

なんとなくの気まぐれとで

「大丈夫?生きてる?」と返信してみたんです

 

電車が来るまで反応がないのをいいことに

無責任なもので

私はそのまま始発に乗った後

眠りに落ちて目覚めたら終点間際

また勢いでしょうもない返事をしてしまったと

呟きを消そうとしたところ

 

「誰かが見てくれてて安心しました 本当にありがとうございます」

という旨の返信が来ていて

 

たとえ義理の返事だったとしても

わたしはチョロく小さい人間なので

なんとなく自分のしたことの中で

1番徳の高いことをしたように

舞い上がってしまい

すっかり上機嫌になったものです

 

誰かにとっての蜘蛛の糸になれたような気分は

本当に最高なので

今後もチャンスを狙うとともに

いつか自分に向けて言葉が差しのべられたら

しっかりとお礼を言えるようになりたいと

 

その日以来思っています